海外におけるタトゥー・ピアスの実態
皆様こんにちは、ニュージーランドからお送り致します。アンソニーです。
突然ですが、皆様はタトゥー、つまりは入れ墨に対してどのようなイメージを持っていますか?
大抵の日本人は入れ墨やタトゥーに対して、反社会主義的なイメージを持っている方が多いかと思いますが、海外ではそれらに対して寛容であることはご存知でしょう。
実際、海外でタトゥーをしている人はとても多いです。
私もニュージーランドではそういった人たちを良く見ました。
みんな季節によらず薄着なので腕にしたタトゥーが丸見えなんてこと・・・。
ピアスにも寛容で、鼻ピアスをしている人なんかも良く見ますね。痛そうなので私は入れる気になりませんが。
最近では日本も外国人観光客が増えてきたため、腕にタトゥーを入れていたりピアスをつけている人を良く見る様になりましたが、まだまだ偏見の目は大きいと思われます。
実はニュージーランドと言えばタトゥーの国なのです。
正確に言えばタトゥーではなく「タ・モコ」と呼ばれるもので、タトゥーとはその来歴も違うのですがニュージーランド人はタトゥーには寛容なようです。
クライストチャーチにもタトゥーを入れてくれるお店が複数存在します。
私はタトゥーを入れていませんし、入れる予定もありません。
私の考えとしては他人のタトゥーについては否定も肯定もしない立場を取っているつもりですが、せっかく海外にいるので話題に取り上げてみたいと思いました。
タトゥーと入れ墨の違いって何?
まず、気になったのはタトゥーと入れ墨、刺青の違いです。
ただ、色々と調べてみたのですが、タトゥーと入れ墨(刺青)の両者に明確な違いはありませんでした。
彫られる柄の見た目が和柄、洋柄かで分かれている程度でしょうか。
近年のグローバル化はこの手の分野でも目覚ましく、デザインの幅も一概に区別できるほど単純ではないみたいです。
一般的にタトゥーは機械彫り、入れ墨は手彫りといった風に考えられているようですが、実際にはどちらも使われている技術自体は似通っているそうです。
年齢層に違いによって呼び方が異なる実態を鑑みてもやはり大した違いはないのかもしれません。
よって、この場では総称してタトゥーと呼称することにします。(一応、海外で書いてますので)
日本におけるタトゥー(入れ墨)の歴史
そもそも、タトゥーと言う文化は古代から続いてたとされる証拠がありました。古事記にも辺境の民の刑罰としてタトゥーが利用されていた、と言及があります。
いくつかの古代文明においてもタトゥーが用いられていた例が確認されています。
日本でタトゥーについての文化が動き出したのは江戸時代からとされています。
それ以前でもタトゥーは用いられていましたが、それは戦で死んでも身元が確認できるようにするため、と言った実用面を重視したものが殆どでした。
それが江戸時代になって生活が安定化し始めたことで別の意味を持たせたタトゥーが表れ始めたのです。
江戸時代初期、タトゥー文化を真っ先に取り入れていたのは侠客と呼ばれる人々でした。彼らの間でお守り代わりとして言葉を彫ることが流行ったのが始まりとされています。
それに倣って、遊女たちの間でタトゥーが流行り始めました。
馴染み客の名前を彫り入れたりすることが流行したのです。
そして、江戸時代中期に一つの変わり目を迎えました。
それが量刑としての「入れ墨刑」の採用でした。
当時、八代将軍であった徳川吉宗が多発化する犯罪を抑制するために見せしめの形でタトゥーを体の目立つ位置に彫り込む刑を採用したことが始まりとされています。
この出来事からタトゥーに対する悪いイメージも生まれ始めましたが、庶民の間ではタトゥーが依然流行っていたとされています。
そして、江戸時代後期に今へと続くタトゥーの文化が花開きます。
そう、全身タトゥーです。
タトゥーはとび職や飛脚の間でも好まれていました。
彼らは職務上、動きやすい格好として半裸で作業することが多かったのですが、地肌をさらすことを恥ずかしいと思ったため、タトゥーを彫ることで誤魔化そうとしたのです。
それによって、タトゥーはそれまでの文字を彫るものから絵となり、そして大きく複雑化していきました。
大きく複雑化するタトゥーですが、当然そうなる切っ掛けがありました。それが浮世絵師の歌川国芳が書いた水滸伝の浮世絵でした。
登場人物に大きなタトゥーを入れさせたものが大変評判が良く、流行のきっかけとなったと言います。
また、歌舞伎の世界でもタトゥーが好まれていたことも拍車をかけました。
これらの人気に歯止めがかかったのは明治政府の設立でした。
明治政府はタトゥーを悪しき風習として禁止したことで人気に陰りが見え始めます。
戦後1948年にタトゥーが解禁されるまで非合法の存在として陰に追いやられたのです。
といっても、服の下に隠すようなタトゥーもあり細々と続いていき近年まで続いています。
終戦以降は在日軍のなかでも日本のタトゥーが流行ったこともありました。
では、いつタトゥーのイメージがヤのつく人たちと結びつくようになったのでしょう?
どうにも戦後の映画事情が関係しているようでした。
60年代に生まれたいわゆる任侠映画の登場人物たちが大きなタトゥーをしていること。それがイメージを強く植え付けたようです(実際のところはちょっと分かりません)。
また、暴対法の成立に伴って暴力団お断りの言葉が生まれましたが、表立って書くのが怖いという人たちが入れ墨お断りと書いたのもそれに拍車をかけたのだとか・・・。
それが近年まで続いた結果が今の状況に繋がるわけです。
海外のタトゥー事情について
なぜ、海外でタトゥーは広がったのでしょう?
どうも、それには18、19世紀。つまりは大航海時代に理由があるそうです。
大航海時代、ヨーロッパから船で様々な地域に広がりを見せた時代ですが、当然船旅は危険なものでした。
嵐に巻き込まれ船ごと転覆。そのまま誰彼分からない死体になることも珍しくありませんでした。
それを防ぐためにタトゥーを体に彫り込んだのが始まりとされています。
また、寄港地に行った記念としてタトゥーを彫ることも珍しくはなかったのだとか。
これにより徐々にデザイン性を重視したタトゥーが生まれたことが、海外ではタトゥーが広がっていった理由とされています。
ニュージーランドのタトゥー「タ・モコ」
ここで紹介するニュージーランドの原住民であるマオリ族がしているタトゥー「タ・モコ」の紹介をしましょう。
これも上記のタトゥーの来歴と同じく自らを証明するいわば身分証のような役割をしていますが、タ・モコはそれに一歩踏み込んだ意味を持たせそれぞれの部族、階級等が表されているとされています。
男性が顔全体に行う「モコ・カノヒ」、女性が顎に行う「モコ・カウアエ」と二つに区別されています。
性別によって体に彫られるタトゥーの位置は違うそうです。
植民地時代にタ・モコは野蛮であるとされ一時断絶しましたが、ブラックパワーなどの裏社会の住民によって密かに伝えられており、近年のマオリ族文化復興時に大きく寄与しました。
タ・モコは顔に彫られた模様のインパクトが大きいせいか、残っている資料の殆どが顔に言及したものが多いですが、体中に彫られたものにも当然意味がありました。
1960年代、70年代にマオリ族の復興運動がおこり、それまでないがしろにされていたマオリ族の文化を復興しようという動きが表れ、今行われているタ・モコはその系譜に連なるものが殆どです。
タトゥーのメリット
タトゥーをしている人によるとタトゥーとは「自己表現」の方法の一つです。
特に海外の人にとってはファッション感覚で入れている人が多いのはこういった考えが浸透しているからだと思います。
タトゥーをしているとタトゥーを入れているもの同士で会話が弾みやすいようです。私の周りでもタトゥーから話題が広がっている場面を良く見ました。
あくまでファッションの範疇ですが、目を引きやすいという点では他のものに引けを取らないと考えることが出来そうです。
タトゥーのデメリット
日本では云々という話は置いておいて真面目なデメリットを書くと、医療での問題が多々あります。
近年では問題は少ないですが、昔のタトゥーで使われていた染料には金属が含まれているため、MRIなどの全身検査を受けることができない場合があります。
MRIは磁気を利用した機器ですので、タトゥーの染料に金属が含まれていると検査時に体へ悪影響を及ぼす可能性が高いのです。
そのため、病院によってはタトゥーをしている人はMRIを問答無用で断られることがあるそうです。
また、処置の仕方によっては汗腺を傷つけるため、発汗を妨げる可能性があります。
感染症の危険もありますし、一度入れてしまえば除去することは困難です。タトゥーを入れること自体にリスクがあると考えたほうが良いでしょう。
大きなタトゥーを入れなければ回避できるかもしれませんが保証は出来ません。
実際入れたことを後悔している人もいるそうです。
個人的に思うこと
私は人の入れたタトゥーについては肯定も否定もしません。
日本での悪いイメージについては、半分正解であるとは感じています。その手の人達に多かったのは事実だと思います。
ただ、痛い思いとそれなりに重いデメリットを抱えてまで自己表現するような自分はいないと私は思っているので、これからもタトゥーを入れる予定はありません。
入れたい人は好きに彫ったら? というスタンスです。
時代が進んで見方が変わるものはとても多いです。
海外でも公共性の高い仕事に就くときはタトゥーを見えないようにしなくてはならない、等のルールが存在します。
結局のところ、タトゥーへの見方を変えることができるのはタトゥーをしている人たちの振る舞いなのです。
一度ついた良くないイメージを払しょくするためには長い時間と根気がいるということですね。